三宅 渚紗さま
3歳で人工内耳の手術を受け、小学2年生でミニバスケットボールを始めた三宅渚紗さん。小学校、中学校とバスケットボールを続ける中、中学3年でデフバスケに出会い、2018年7月には21歳以下のデフバスケットボールチームキャプテンとして、世界大会に出場しています。三宅さんがバスケットボールを始めたきっかけから、世界大会の様子、今後の目標についてご紹介します。
私は、3歳の時に人工内耳の手術をしました。残念ながら、その時のことは覚えていません。6歳上の兄も人工内耳を装用しており、兄と同じように幼稚園の頃から現在まで、健常者と一緒に普通学校に通っています。小学校入学前は、週に1、2回高松にある難聴児施設に通いました。母の運転する車に乗って高松に行くことが楽しかったことを覚えています。
私がバスケットボールに出会ったのは、小学2年の時でした。小学校の友達から一緒にやろうと誘われたのがきっかけです。その頃、私は体操教室に通っていたのですが、実際にミニバスを見学し体験させてもらった時に、とても楽しくてミニバスチームに入りたいと思いました。人工内耳を装用している時は、特に会話に困ることは少なかったのですが、ミニバスチームに入った当初は、ボールの音や周りの音で監督やコーチの声が聞き取れないことがありました。その時は同級生がいろいろと助けてくれました。練習や試合では、ヘッドバンドをつけて、プロセッサがずれたり落ちたりしないように工夫しました。毎日の練習が楽しくて、いつもボールを触っているような毎日でした。
中学では、指導が厳しいという噂を聞いていたバスケ部に入部しました。何度かしんどいと思う時がありましたが、コーチ、先輩、同級生に恵まれたおかげで3年間やり遂げることができました。
中学3年の時に、顧問の先生に「デフバスケの合宿に行ってみたらどうだ?」とアドバイスをいただきました。私は「デフバスケ」というバスケを知らなかったので、家に帰って調べました。耳が聞こえない人のバスケがあるということがわかり、一度見に行ってみようと思いました。
京都での合宿に初めて参加した時は、難聴の程度もいろいろ、手話や指文字などコミュニケーションの方法も様々で驚きました。参加している方たちや指導してくれる先生はとても気さくですぐに打ち解けることができました。愛媛から京都への遠距離の参加でしたが、月に1回行われる合宿には全て参加しました。ここで多くのスキルを学ぶことができました。合宿に参加を始めてから2年後にU21デフバスケットボール女子日本代表のセレクションメンバーに選ばれ、5回の合宿のセレクションで日本代表メンバーに選出されました。また、チームのキャプテンという大役も任されました。
U21日本代表チームとして、5回の厳しい合宿を乗り切り、2018年7月世界選手権の行われるアメリカ、ワシントンDCに向かいました。海外に行くのも初めてですし、海外の選手と試合をするのも初めてです。最初はとても緊張して思うような動きができませんでした。それでも、トルコ、リトアニア、イタリアチームに勝利することができ、当初の目標である予選リーグを突破することができました。準決勝もそのままの勢いで突破し、決勝はアメリカとの対戦でした。会場はアメリカ応援が大多数でしたが、日本からの応援団や日本代表チームのファンになってくださった他国の方の応援はとても励みになりました。アメリカチームに勝つことは出来ませんでしたが、日本デフバスケットボール史上初の銀メダルを獲得することができました。それだけではなく、ベストチームに与えられるスポーツマンシップアワードも受賞することができました。本当に忘れられない体験ができました。
ここまで来られたのは、バスケを始めるきっかけを作ってくれた友人やこれまで指導してくださった先生、コーチや監督、私たちの活動を支えてくれたデフバスケットボール協会のみなさん、陰で支えてくれている兄や両親のおかげです。感謝の気持ちでいっぱいです。
大学に進学してもバスケットボールを続け、2019年6月に行われるデフバスケ世界選手権に日本代表として選ばれるよう努力したいと思います。これからも人との出会いを大切にして、更に成長できればと考えています。
2018年8月
免責事項
この資料は医療従事者向けです。医療従事者ではないお客さまは、難聴の治療について医療従事者のアドバイスに従ってください。聴こえや結果は装用者によって異なりますので、医療従事者が装用結果に影響を及ぼす可能性のある要因についてアドバイスします。使用については必ず取扱説明書をお読みください。国によっては販売されていない製品があります。お近くのコクレアの担当者に連絡して製品情報を確認してください。
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